大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(行ウ)88号 判決

主文

被告が原告に対してなした昭和六三年四月二二日付け公務外認定処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

東京都町田市職員で、シェーグレン症候群の基礎疾病を有していた原告は、偶々公務に従事中脳出血性梗塞を発症したので、被告に公務災害の認定を請求したところ、被告は、公務起因性がないとし公務外認定処分をした。

本件は、原告が被告に対し、右処分は事実誤認の違法な処分であるとして、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実(但し、一部認定事実を含む。)

1 原告の経歴等

原告は、昭和一八年七月一二日生まれの女性で、昭和四六年一一月一日、東京都町田市に採用され、同日付けで同市教育委員会に出向し、一般事務の職務に従事し、兼ねて社会教育主事補を命じられ、そして、同日付けで町田市教育委員会事務局社会教育課に配属され、社会教育の業務に従事していたが、昭和五三年一〇月、組織改正により同事務局文化部所管の町田市公民館(以下「公民館」という。)勤務となり、以来、今日に至るまで公民館事業の実施にかかる業務に従事してきた。

2 災害の発生

原告は、昭和六二年七月二四日、公務に従事中に脳出血性梗塞を発症した(以下「本件疾病」という。)。

3 公務外認定処分

原告は被告に対し、本件疾病は公務に起因したものであるとして地方公務員災害補償法四五条に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は、昭和六三年四月二二日付けで本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨の決定をした(以下「本件公務外認定処分)という。)。

4 不服申立の経緯

原告は、本件公務外認定処分を不服として地方公務員災害補償基金東京都支部審査会に対して審査請求をしたが、同審査会は、平成三年二月二二日付けでこれを棄却したので、さらに地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、同審査会は、平成四年二月五日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決をし、この裁決書は、同年三月三一日、原告に到達した。

5 原告の公務の内容等

公民館は、組織上は教育委員会事務局文化部に所属し、館長のほか主査一名、一般事務職員五名、用務担当職員一名の職員構成で運営されていた。

公民館の事業内容は、〈1〉各種の学級、講座及び講演会を開催し、〈2〉社会教育に関する資料を備えて、この利用を図り、〈3〉各種の団体、機関等との連絡を図り、〈4〉施設及び設備を住民の集会その他の公共的利用に供することである。

また、公民館の事務は、教育委員会の定める処務規程によっているが、昭和六二年度についてみれば、公民館の各事務量割合及び一般事務職員が担当する事務別分担割合は、おおよそ別表1に記載のとおりである(但し、同表記載のうち、原告関係については争いがなく、原告以外については《証拠略》によって認めることができる。)。

なお、公民館事業のうちで、市民講座や青年、婦人、高齢者、障害者等を対象とした各学級、教室等の開催及び講演会等の開催に関する事務(別表1の7、8、9)が全体の約六〇パーセントを占めている。

これらの事務は、一般事務職員のうち、一名は庶務的事務を担当するため、その分担量は少ないが、五名全員が、各講座・学級・教室ごとに主務者となって担当し、その企画、運営及び実施に当たっている。

原告の担当事務は別表1に記載のとおりであり、その約八割は講座・学級の実施にかかる事務である。公民館が実施した講座・学級数は、昭和六一年度が四二、昭和六二年度が別表2に記載のとおり計画中のものを含めて三〇であったが、このうちで原告が主務者として担当したのは昭和六一年においては一二(但し、他にコンサート等が三)、昭和六二年度においては一一(但し、このうち同年七月時点で実施中のものは三であり、残り八については準備又は計画中であった。)である。

6 原告の勤務時間等

原告の勤務時間は、一週間四四時間(但し、休憩時間を除く。)で、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時一五分まで、土曜日は午前八時三〇分から午後〇時三〇分までとなっており、この間に土曜日を除き四五分間の休憩時間と勤務時間四時間につき一五分間の休息時間が与えられていた。

公民館の休館日は毎週月曜日であり、日曜日に勤務した場合には翌月曜日が勤務免除日(以下「代休」という。)となっていた。

7 本件疾病発症当日の原告の公務等の状況

原告は、昭和六二年七月二四日、原告が主務者として担当していた事業のうちで翌八月二五日に実施が予定されていた「国分寺現地学習会」のため、同僚の男性職員(三一歳)一名とともに左記のとおり下見の現地踏査をする出張用務をなした。

午前八時三〇分 通常の健康状態で出勤

同九時 公民館を出発

同九時一一分 JR横浜線町田駅から八王子行電車に乗車

同一〇時四五分 西国分寺駅下車、駅から徒歩で約一キロメートル先の「家庭教育学級」の女性講師(五一歳)宅(以下「講師宅」という。)に向かう。

同一一時〇分 講師宅に到着。隣接する児童文庫に寄る。

同五分 講師の案内で出発

同一〇分 国分寺公園で石碑の確認

同一五分 八幡神社で由緒書の確認

同二〇分 国分寺薬師堂の由緒書を確認し、石段を降り、国分寺仁王院で由緒書を確認。石段は約五〇段、坂道は一三〇メートルで高低差は一五メートル。

同三〇分 国分寺境内を経て、万葉植物園に入る。万葉集と草花の対比を行う。

同四〇分 国分寺住職に会い、後日訪問したい旨を話す。

同五〇分 湧水路沿いの散歩道「お鷹の道」を進み、「真姿弁天」、湧水池に向かう。同所で一旦休憩し、学習会当日に子供たちを水遊びさせることを決める。

午後〇時五分、柿畑、遺跡発掘現場横を通り、国分寺七重塔跡広場に出る。学習会当日に同所でゲームと昼食をさせることを決める。

同一五分 礎石展示場前を通り、武蔵国国分僧寺金堂跡、講堂跡に行き、礎石と案内を確認する。

同二〇分 国分寺楼門を経て、遺跡発掘調査会事務所横を通り、由緒書を確認した後、白鳥幼稚園下の坂道を上がる。

同二五分 消防出張所前を左折し、講師宅隣接の児童文庫に入り、収蔵図書を見る。

同三〇分 講師宅に入り、小休止し、打合わせを行い、昼食をとる。

昼食は、鮭入りおにぎり(普通の大きさのほぼ半分)二個、トマト二分の一個、塩もみきゅうり二分の一本、麦茶コップ二杯である。

8 原告の服装

本件疾病発症当日の原告の服装は、半袖ブラウス、フレヤースカート、白のローヒール靴を着用し、日傘と小型ショルダーバッグを所持していた。

9 本件疾病発症当日の気象状況

本件疾病発症当日の気象状況は別表3に記載のとおりである。

10 本件疾病発症時の原告の症状

原告は、現地踏査を終了し、講師宅で昼食した後、頭痛と体の変調を覚え、西国分寺駅までタクシーを利用したが、この車中で気分が悪くなった。午後一時一五分ころ、国分寺駅からJR中央線下り電車に乗り、間もなく吐き気を催したため、日野駅で下車し、プラットホームで嘔吐した。午後一時三〇分ころから約三〇分間駅長室で休憩したが、容態が改善しなかったので、日野駅近くの花輪病院で大河原医師の診察を受けたところ、同医師は、原告の疾病を「脱水-尿細管アシドーシス」と診断し、治療を施した。

しかし、原告の症状は一向に好転しなかったので、原告は、右医師の指示に従い、同日午後五時三分、日野消防署の救急車で町田市民病院に移送され、同日午後五時四〇分に同病院に入院した。原告の治療を担当した同病院医師板倉滋(以下「板倉医師」という。)は、原告の疾病を「脳出血性梗塞」と診断した。

なお、同医師が原告の疾病を右のように診断したのは、同病院で同年八月一三日に実施した脳血管造影によると、右中大脳動脈と前大脳動脈の分岐前に二箇所の狭窄像が認められ、前大脳動脈が完全に閉塞していたことによる。

原告は、同年九月一七日、七沢リハビリテーション病院脳血管センターに転院し、同病院医師吉野正昭(以下「吉野医師」という。)の治療を受けるようになったが、同医師は、同年一一月五日、原告の疾病を「左片麻痺、構音障害、脳出血」と診断した。

11 原告の健康状態

原告の定期健康診断の結果は、別表7に記載のとおりである(但し、同表のうち、昭和五四年一〇月五日実施の血圧値と同五五年一〇月七日実施の身長の点については争いがあり、これらの点については《証拠略》によると、同表に記載のとおりであることが認められる。)。

原告は、昭和六二年四月七日、シェーグレン症候群の診断を受け、本件疾病発症当時もこの治療を受けていた。

二  争点

本件疾病の公務起因性にある。

(原告の主張)

本件疾病は、原告が日常生活の中で通常経験することのない異常な高温の炎天下で、極めて質的・量的に過重な公務に従事したことにより、日常と異なる異常な肉体的負担を受けて脱水状態となり、この結果、血栓を形成して従前から存在していた脳動脈の狭窄部分が詰まって発症したのであるから、公務上の災害である。

したがって、本件公務外認定処分は事実を誤認した違法な処分であるから、取り消されるべきである。

(被告の主張)

原告の公務には、突発的ないし予測困難な異常な出来事は発生していない。また、学習会の下見が質的・量的に過重な公務とも認められないばかりか、本件疾病発症当日の原告の行動に何ら危険性も認められないし、当日の気象状況が本件疾病発症の原因となる異常な出来事とも認められない。

本件疾病は、原告の有する基礎的な病態(シェーグレン症候群)が自然的経過をたどって増悪し、発症したと判断されるので、本件疾病と原告の公務との間には相当因果関係が認められない。

第三  争点に対する判断

一  本件疾病発症前の原告の公務等の状況

本件疾病発症前の原告の公務等の状況は、前記争いのない事実のとおりであるが、この外に、《証拠略》によると、次の事実を認めることができる。

原告の昭和六二年七月における公務の内容及び勤務時間は、別表4に記載のとおりであり、同年一月から同年七月までの勤務状況は別表5に記載のとおりである(但し、別表4及び5に各記載の点については大部分において争いがない)。

原告及び公民館勤務の一般事務職員の昭和六二年一月から七月までの時間外勤務時間数及び休日勤務日数は勤務命令簿によれば、別表6に記載のとおりである(但し、同表のうち原告以外の一般事務職員については争いがない。)が、原告は、このほかにも、例えば、同年三月は約二五時間、同年七月は約一六時間の勤務命令簿に記載された分以外にもかなりの時間外勤務を行っていた。このことは、公民館における職務の特殊性として、公民館では担当者制をとっており、年度はじめにその年度のおおよその企画案を出して担当者を決めるが、講座の中には、例えば、原告の担当した「平和のための市民講座」のように各地区の住民の実行委員会との打ち合わせに出向いたり、それぞれの企画の準備に参加したり、出演者等の協力を得るための依頼やアレンジメントが必要なため、夜間においての連絡調整事務が必要とされるものや、年間を通じて行われる講座の中には、例えば、原告の担当した「障害者青年学級」のように、毎週同一曜日の夜間にスタッフ会議を開催したり、家庭訪問、職場訪問や他の機関との連絡調整を必要としたり、参加者からの相談に応じたりする必要のあるものや、また、講師を依頼する講座においては、講師によっては夜間にしか在宅しないために打ち合わせを夜間に行わざるを得なかったり、また講師の経歴実績等を把握するためにその著書を読んだりする必要がある場合のあるものなどがあり、公民館においてなす事務以外にも必要とされる事務があり、その事務の性質上そのすべてを捕捉することが必然的に困難な部分があり、勤務命令簿との間に齟齬が生じてしまうためである。また、同年七月分についてみれば、勤務命令簿には事後にまとめて記入することが慣行化していたところ、原告が本件疾病により入院して自ら記入できなかったために、上司が代わって記入したため、原告自身しか把握していなかった分について記入漏れが生じた部分もある。

二  本件疾病発症当日の原告の公務

本件疾病発症当日の原告の公務は、前記争いのない事実のとおりであるが、この外に、《証拠略》によると、次のとおりであることが認められる。

原告は、本件疾病発症日の前日、前記認定のとおり午後一〇時まで公務に従事していたことに加え、格別の暑さのためになかなか寝付くことができず、本件疾病発症当日の朝を迎え、起床時間が午前六時ころであったこともあって些か寝不足を覚えていた。

そして、原告は、西国分寺駅で下車した後、同駅から講師宅まで約一キロメートル強の道程を徒歩で行ったが、この間は日陰もなく地面からの照り返しと車の交通量の多かったことからかなり辛いと感じ、途中で喉が渇き飲料を求めたが、自動販売機等は見当たらなかった。原告は、講師宅に到着後、講師の都合で休憩をとることもなく直ちに現地踏査に出発した。そして、前記争いのない事実のとおり国分寺公園から国分寺等を経て再度講師宅まで現地踏査をしたが、この間の距離は約二・二キロメートルであり、総歩行距離は約三・二キロメートル強に及び、途中木陰はあったものの、そのほとんどが炎天下の歩行であり、そして、この間、途中で休憩をしたものの暑さの中で水分を補給することもできず、かなりの疲労感を覚えた。

三  本件疾病発症当日の気象条件

本件疾病発症当日の気象条件は、前記争いのない事実のとおりであるが、この外に、《証拠略》によると、次の事実を認めることができる。

本件疾病発症前日は、気象庁の梅雨明け宣言と同時に、八王子で三八度を超える猛暑となり、冷房がフル稼働したために送電が追い付かず、首都圏の六都県で二八〇戸が停電し、地下鉄、私鉄が混乱し、エレベーターやコンピューターが動かなくなるという異常事態に陥り、この猛暑の中で、都内で三九人が入院した。そして、この二三日の気温が夜中も下がらないまま本件疾病発症当日である翌二四日を迎え、二四日は、さらに前日の記録を更新する暑さで、八王子で午後一時に前日を上回る三八・七度となり、このため都内では六二人が倒れ、塗装工事をしていた一名と野球練習中の高校生一名が死亡した。

四  原告の既往症

《証拠略》によれば、原告の既往症について次の事実を認めることができる。

原告は、一八歳時に胃炎を患い、三九歳時に腰椎椎間板症と診断され、約一年間治療を受け、昭和六一年一二月に発声ができなくなり、頭痛、皮疹、疲労感が強いため受診したところ、肝臓疾患の疑いがあると診断されたが、異常は認められなかった。しかし、昭和六二年三月に再度発声困難となり、頭痛が激しくなったため、同年四月七日、北里大学病院(神奈川県相模原市北里一丁目一五番一号)内科医師岡田純(以下「岡田医師」という。)の診断を受けたところ、前記のとおりシェーグレン症候群と診断され、同年四月二三日、東京大学医学部付属病院(東京都文京区本郷七丁目三番一号)に転医し、同病院物療内科医師山田昭夫(以下「山田医師」という。)の診断を受けたところ、同じくシェーグレン症候群と診断され、以後同医師による同疾病の治療を受けていた。

なお、原告は、同年五月に、同疾病による難病医療費公費負担の申請をなし、同年六月一日、東京都が定める難病の認定を受けた。

ところで、シェーグレン症候群は、原因は不明であるが、自己免疫性の機序による外分泌腺の慢性の炎症性疾患であり、外分泌腺の中でも、主として唾液腺及び涙腺が侵され分泌腺の低下をきたして臨床的には乾燥症状を起こすばかりでなく、慢性関節リューマチを初めとする他の結合組織疾患を合併する症例も多いとされている。さらに、尿細管性アシドーシスや原発性胆汁性肝硬変症などの外分泌腺以外の臓器の病変をも合併することがあると考えられている。このようにシェーグレン症候群は、外分泌腺のみが侵される単純な疾患ではなく、多臓器が侵され、多彩な臨床像を呈する疾患であり、また、ガンマグロブリンの産生が亢進し、血液中の蛋白の量が多くなる結果、血液の粘稠度が高まり、過粘稠症候群を引き起こすことがあると考えられている。

五  医師の所見

《証拠略》によると、シェーグレン症候群と本件疾病との原因関係及び本件疾病と原告の公務との関係についての医師の所見は次のとおりであることが認められる。

1 岡田医師

シェーグレン症候群に脳神経症状を呈することは、稀にはあるが、血小板減少を伴わなければ脳出血の合併は考えにくく、本件疾病との関係は極めて薄いと思われる(但し、被告の照会に対する回答)。

2 板倉医師

以前からシェーグレン症候群にて加療しており、それによる血管炎が脳出血性梗塞の原因となった可能性がある(但し、被告の照会に対する回答)。

もっとも、同医師は、本件疾病による入院費について、原告が本件疾病がシェーグレン症候群によるものであれば難病医療費として公費負担となるのではないかと尋ねたところ、シェーグレン症候群によるものとはいえないとして公費負担とすることを拒否している。

3 町田市民病院医師牛尾剛雄

脳血管造影において明らかな狭窄を認めたが、年齢的にも他に原因となるリスクを認めないため、シェーグレン症候群に伴う動脈炎が出血性梗塞の原因であることは大いにあり得る(但し、地方公務員災害補償基金東京都支部審査会長が、板倉医師の右回答について、詳細に意見を聞かせられたいとしてなした照会に対する回答)。

炎天・高温の状態がシェーグレン症候群の増悪をきたし、脳動脈の狭窄をきたしたというのではなく、他に動脈硬化性病変をきたすリスクがないので、シェーグレン症候群に伴う動脈炎が原因の大脳動脈の狭窄が以前から存在し、出血性脳梗塞の原因となったと考えられ、一般的に動脈の狭窄が存在した場合、炎天・高温下に長時間さらされると脱水状態から血液の粘稠度が増し動脈閉塞の誘因となり得、心筋梗塞・脳梗塞等の原因となり得ると考える(但し、原告代理人の照会に対する回答)。

4 吉野医師

本件疾患の主要な原因は脳血管障害による(但し、被告の照会に対する回答)。

5 山田医師

シェーグレン症候群では神経栄養血管の血管炎により、末梢神経障害を起こすことが時々あるが、脳梗塞を起こすことは稀であり、わが国での報告例はほとんどない。しかし、脳血管の血管炎により血管の狭窄を起こすことは考え得ることである。患者の脳梗塞がシェーグレン症候群の増悪によって起こったものであるか否かは、血管炎の活動性の指標となる客観的検査所見がほとんどないので、判定困難である。しかし、一般的に神経栄養血管などの小血管炎では血沈、CRPなど炎症所見が異常となることは少ないものの、この患者が脳梗塞発症前にCRPが全く正常であり、血管炎が活動期であったことを積極的に示す所見はない(血沈亢進はシェーグレン症候群による高ガンマグロブリン血症(ガンマグロブリンの産出が非常に亢進して、血中の蛋白が非常に高くなる。)によるもので、この患者の場合は炎症所見を示すものではない。)。また、この大きさの血管で急速に血管炎による閉塞が起きることは考えにくく、以前から血管炎によると思われる狭窄があり、それが何等かの原因で急速に閉塞を起こしたと考えられる。この患者には以前から時々頭痛があり、これが血管炎の一症状であった可能性はある。

原告には以前から狭窄があり、そこに脳梗塞を起こしたと考えた場合、狭窄により血栓を形成し易くなっていることが考えられ、炎天・高温下の徒歩による現地学習会のための下見の約二時間にわたる公務に従事したことにより脱水症状を起こすことは十分に考えられ、このことにより血液の粘稠度が高まり閉塞を起こす可能性が高いと考えられる。この患者の公務との関連性は否定できない。シェーグレン症候群による高ガンマグロブリン血症(ガンマグロブリンの産出が異常に亢進し、血中の蛋白が非常に高くなった状態)により血液は過粘稠となっている(いわゆる過粘稠症候群状態)ことが、さらに、脱水による血栓形成を促すものと考えられる(但し、原告代理人の照会に対する回答)。

そして、同医師は、次のようにも証言している。すなわち、以前からシェーグレン症候群による血管炎があり、これが徐々に進行して脳動脈に狭窄が生じ、他方、シェーグレン症候群によりガンマグロブリンの値が非常に高くなり、血液の粘稠度が高まる過粘稠症候群になっており、血管が詰まり易い状態にあり、そこに炎天下の作業がきっかけとなって脱水症状に陥り、粘稠度が更に増して、血栓が形成され、脳動脈を閉塞させたものと思われる。

ガンマグロブリンの値が高くともそれだけで脳梗塞を起こすことは非常に稀であるから、炎天下の作業が引き金となった可能性が高い。また、血管炎というのは何もせず普通の状態で急激に悪化するということは考えにくい。

六  当裁判所の判断

1 本件疾病の発生機序について

右に認定した各医師の所見を総合すると、原告は、本件疾病発症以前から基礎疾患としてシェーグレン症候群を有しており、この疾病によりガンマグロブリンの産生が亢進し、血液中の蛋白の量が増加したため、日頃から血液の粘稠度が高まっていたというのであり、他方、シェーグレン症候群により発症した動脈炎(血管炎)により大脳動脈に狭窄が生じていたが、右狭窄は急速に閉塞を生ずるような状態ではなかったというのであるから、本件疾病の発生機序については、本件公務の遂行中に脱水症状に陥り、これにより血液の粘稠度がますます高まったために右狭窄部分において血栓が形成され、このために大脳動脈を閉塞させたものと認めるのが相当である。

2 公務起因性について

このように原告の病的素因ないし基礎疾患が原因となって疾病が発症した場合、その疾病と公務との間に相当因果関係が認められるためには、公務に起因する過度の精神的肉体的負担が、右基礎疾患の自然的経過を超えてこれを増悪させたために本件疾病発症に至るなど、公務が病的素因ないし基礎疾患とともに疾病に対する共働原因となったことが認められなければならないと解すべきである。

そこで、本件公務と本件疾病との相当因果関係の有無について検討する。

原告の本件疾病発症前の公務の状況は、勤務命令簿上の時間外勤務及び休日勤務の合計は、前記認定事実によると、昭和六二年一月から七月までが三六三時間であり、更に昭和六一年度は六三二時間であったのであり、この時間外勤務時間数は、町田市職員の中でも極めて多いのであるから、原告が兼業主婦であることを考慮すると、原告に与えた日常の公務の心身の負担は比較的大きかったものといえる。

さらに、本件疾病発症直前の公務についてみても、七月二二日は時間外勤務をしておらず、二一日も午後夏期休暇を取得しており、二〇日は前日の日曜日に出勤した代休として勤務を休んでおり、比較的休養がとれたようであるが、一八日には研究会の職務で江ノ島に出張して午後一一時に帰宅し、一七日も午後一〇時三〇分まで勤務し、一六日は病休で夕方になっても体調がすぐれなかったにもかかわらず、午後六時から午後一〇時三〇分まで障害者学級の担当者会議のため夜間の職務に従事し、一五日も午後一〇時三〇分まで勤務していたというのであり、これらを総合すると、本件疾病発症の二日前から四日前にかけて休暇や時間外勤務をしていない日があったといっても十分に体調が回復したとは認め難い。

以上の点に加え、原告は、本件疾病発症当日、前日の午後一〇時までの時間外勤務と暑さのためになかなか寝付かれなかったにもかかわらず、午前六時に起床して睡眠不足の状態であったというのである。

もっとも、本件疾病発症当日の原告の公務は、出張用務で現地踏査であり、これ自体は格別心身に過重な負担を与える性質のものとは認められない。しかしながら、当日の気象状況は、午後一時に八王子では前日を上回る三八・七度を記録し、この猛暑のために東京都内で六二人もの人が倒れたというほどであり、このような気象条件の下での右現地踏査は必ずしも心身に過重な負担を与えるものではないとは言い切れない。他方において、原告は、前述のような基礎疾患を有したのであり、このような健康状態において右のような公務に従事することは心身に過重な負担を与えるものと認められる。

以上の諸点を考慮すると、原告は、本件疾病発症直前において、公務に起因して恒常的な精神的肉体的負担を負っており、これに加えて本件公務に従事したことにより心身に更に過重な負担が加わったと認めることができ、他に脱水症状による血液のいわゆる過粘稠症候群状態を惹起する要因は窺われないから、血液の過粘稠症候群状態は右の負担を原因として惹起したものと認めるのが相当である。そうであれば、本件疾病は、本件公務に起因する過度の精神的肉体的負担が基礎疾患の自然的経過を超えてこれを増悪させた結果発症したものと認められる。

3 被告の主張に対する判断

被告は、本件公務は、原告の日常の公務と比較して特に質的又は量的に過重なものではなく、原告に本件疾病を発症させるに足りる精神的又は肉体的負荷があったとは認められないと主張し、その理由として、〈1〉右当日の公務は、子供達の参加する行事の下見であり、無理のない行程が計画されていたこと、〈2〉原告の当日踏査した道順は下り坂が多かったこと、〈3〉下見をした場所はほとんどが木陰であり、直射日光を受けた場所においても原告は日傘を差しており、かつ軽装であったから、暑さは避けられたはずであることを挙げる。

なるほど、本件公務それ自体が格別原告の心身に過重な負担を与える性質のものと認められないことは前述したとおりである。

しかしながら、前記認定の事実によると、本件公務遂行過程における気象条件は通常人にとっても苛酷であって、このような状況下においての午前一一時過ぎから約一時間三〇分に及ぶ現地踏査は、原告が自己の体調に合わせて自由に行われたものではなく、講師の案内によって行われたというのであり、また、《証拠略》によると、現地踏査の行程は全てが平坦ではなく、上り下りがあったし、木陰も所々にあったが、多くは木陰のないアスファルト舗装道路であって、直射日光による照り返しもあったことが認められる。以上を総合すれば、右現地踏査は、一般通常人にとっても心身に与える負担はかなりのものであったろうと推測され、原告の公務が主として公民館における事務作業であったことを考えると、右現地踏査の原告に与えた心身の負担は小さくなかったものといえる。

したがって、この点に関する被告の主張は、必ずしも全面的に採用することはできない。

また、被告は、花輪病院での検査結果から原告の脱水症状は軽度のものであると考えられ、現地踏査終了後講師宅で何事もなく昼食をとっていることから、本件疾病は脱水症状のみによるものであるとは考えられないと主張する。

なるほど、証拠(前掲山田の証言)によると、本件疾病発症直後に診察を受けた花輪病院における血液検査の結果は、ヘマトクリット三八パーセント、赤血球四二六万個であり、その後搬送された町田市民病院における血液検査の結果では、ヘマトクリット三七・五パーセント、赤血球三九八万個となっていることからみる限りにおいては、脱水症状は存在するものの、これも軽度のものであることが認められる。

しかしながら、花輪病院における右検査結果が原告に対する診察のいかなる段階において実施されたかは本件全証拠のうえからは明らかでないばかりか、右山田の証言によると、脱水症状の患者を診察するに当たり、医師としてはまず血管を確保するために点滴をするのが一般的であることが認められ、右検査結果も点滴をした後のものである可能性を否定できない。また、右山田の証言によれば、脱水症状による血管梗塞は、脱水症状に陥ってから徐々に進行形成されていくことが認められ、《証拠略》によると、原告は、昼食時において気分が勝れず食欲が余りなかったことが認められる。以上の諸点を考慮すると、花輪病院と町田市民病院における右各検査結果及び現地踏査終了後の原告の状況から原告が本件疾病発症当時本件疾病を発症するほどの脱水症状にはなかったということはできない。

したがって、この点に関する被告の主張も採用しない。

七  結論

したがって、本件疾病は公務との間に相当因果関係を有するというべきであって、公務起因性を有するから、これを有しないとした本件処分は判断を誤ったものとして違法であって、取消を免れない。

(裁判長裁判官 林 豊 裁判官 合田智子 裁判官 蓮井俊治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例